お疲れ様です、じゃっくです。
今回のnoteでは、泊り勤務が当たり前の鉄道社員でも動画編集という時間のかかる副業と両立出来た理由について解説していきます。
どうしても、本業との兼ね合いで副業に時間を割けないという方もいらっしゃるかと思います。
そんな方にも、時間を上手く使い、原動力さえあればどうにかこなせる、ということを伝えられれば幸いです。
今回の内容は、動画編集のコツやテクニックをお話する内容ではなく、会社を原動力に新たな道を手にした1人の男のストーリーとして読み進めていただき、「会社に縛られない」という考えのきっかけになればと考えております。
鉄道社員の勤務形態
そもそも、ぼくの勤務形態はお昼に出社、その日は泊りで、翌日の夕方ごろに帰宅する、という生活でした。
そんな中、副業のスケジュールはこんな感じです。
朝早く、6時くらいに起きて作業
準備など差し引いて11時まで、約3時間ほどの作業時間を確保
翌日の夕方、18時ごろに帰宅、そこから0時くらいまで勉強&作業
ゆっくりする時間などはなかったですが、決して苦にはならなかったですね。
気になる納期問題
おそらく、納期大丈夫?という声が多い気がするので、そちらについても回答しておきます。
実際のところ、納期に間に合わなかったことはありません。ただ、納期が危ういと感じることはいくつかありました。
そこも踏まえて納期問題に関しては事前にケアをしていて、予め納期の近い案件は受けないようにしていました。
鉄道会社ということで、人身事故などでダイヤが乱れると帰れないなんてことはよくあるんです。昼に終われる勤務だったとしても、そのまま帰れず夜まで残らないといけないことも珍しくありません。
そうなると、必然的に編集作業に取り掛かれないので、そんなトラブルが起きても問題がないよう、納期は3~5日ほどいただける案件のみお受けしていました。
副業を継続出来た理由
多くの方が、副業に興味くらいは持つんだと思います。ただ、始めるきっかけがない、始めたけど続かない、という方が大半。そんな中、なぜぼくが副業を継続出来たのか、その内情を包み隠さずお話します。
副業を継続出来た理由、それはずばり「会社の存在」です。
鉄道会社って、昔の風習がまだまだ根強く残っている縦社会なんです。
たとえ、明らかに間違っているようなことでも、上の言うことは絶対、という風潮。まだまだパワハラもセクハラも多いのが現状です。
そういう世界から抜け出したいと思って、それが原動力になったという感じですね。
例えば、先輩や上司を見ていると、それが将来の自分の未来像になるじゃないですか。
そう考えたときに、良い先輩、良い上司は何人かは出てきましたが、絶対数が明らかに少なかったんですね。
ぼくはその中に入れるのか?と考えたときに、会社の雰囲気や身の振り方を考えても難しいな、と思ったんです。そう思うと、動画で成功して、それを本業に出来たらいいな、という感じで勉強しましたね。
このような理由から、副業を継続出来た理由として大きく占めるのは「会社員からの脱却」です。
何よりも、定年まで在籍し続けることが難しい、というのが大きいですね。
会社は体のいいことを言ってるんですが、駅員さんなどでは45歳を超えると切られたりもしてるんです。表向きでは早期退職に見えてますが、裏では「辞めてほしい…」みたいな声が掛かってるなんてこともあるようです。
年齢意外にも、世界情勢、景気によって人員削減を頻繁に繰り返しているので、自分も45歳になれば、必然的に同じような目に遭うのかな、と感じたのもあって副業を始めました。
入社して13年間、ずっと我慢の日々
決して弱音を吐くつもりはありません。ただ、我慢しているという事実を有耶無耶にして慣れたから、と自分を偽るのは身を滅ぼします。それは慣れではなく、”麻痺”です。
入社1年目、奈良で生まれ育ったぼくはいきなり大都会の「難波」に駅員として配属。しかし、人に慣れていない状態で1日に何万人もの人が行き交う状態に人酔いがひどくてしんどかったことを今でも覚えています。
さらに追い打ちを掛けるのは、先輩の存在です。今から13年前なんてセクハラやパワハラもまだまだひどかった時代で、交代勤務なのに交代の時間に先輩が来ないなんてことも珍しくありませんでした。結果、早朝に出勤してから終電まで1日立ちっぱなしの生活。
正直、心身ともに疲弊していました。当時は19歳だったこともあり社会に慣れておらず、本当に地獄のような生活でした。
そこで、環境も給料も良くなる、と噂で聞いていた車掌になりました。
しかし、噂は所詮噂でした。給料も待遇も変わらない、むしろ駅員時代よりも環境は悪化しました。乗務員って、駅員よりも圧倒的に縦社会で、運転手の下僕みたいな扱いを受けるんです。
その結果、駅員よりも拘束時間は長いうえに、駅員時代よりも人間関係が悪い。年間の休日も60日ほどで疲弊する毎日でした。
最近は断ることも出来るようになって年間休日78日とかになりましたけど、やっぱり少ないですよね(笑)
転勤して、仕事内容は多少マシになりましたけど、クセのある人は目立つのでそこでもずっと我慢、と言うのが続いていました。
副業を考えたきっかけ
副業を考える方は多い、しかし行動に移せる人は少ない、これが実状です。そんな中、ぼくが副業を始めようと考えたきっかけについてお話します。
実は、鉄道会社って隠蔽が温厚してるんですよ。
その1例として、北海道帰りの運転手がいてその人が熱あります、とのことでザワザワしたんです。2020年1月頃、北海道ではコロナが流行ってたこともあって、その人も1週間くらい熱が続いてたんですよ。ただ、そんな状態でも検査を受けずに出社してきたんです。(厳密には受けれない世の中でした)
出社後2日くらいは、会社から帰れと命令が下って帰ってたんですけど、そんな命令も3日目には下らなくなったんです。
そんな時に事件は起こりました。
その北海道帰りの人と勤務が同じになり、夜は同じ部屋で2人きりで寝ないといけなくなったんです。しかも、まだ熱はあるしゴホゴホと咳もしている状態。
一応、体温測定して36.5度を超えてなければOKみたいな感じだったんです。
1回目37.0℃
2回目36.8℃
3回目36.5℃
こんな感じで、数打ってクリアして、それを見て職場長がいけるな、と判断。
職場長がぼくに、当時は珍しかったアルコールスプレーを渡して、これでも使えと言われ、この時に「あぁ、ほんとに歯車みたいな使われ方するんだな」と感じ、絶対にここから抜け出してやる、と決意しました。
そんな時に「リベラルアーツ大学」、通称「リベ大」というYouTubeチャンネルに出会って、我慢ばかりの会社から脱却したい、という理由から、副業を始めました。
泊まり勤務の鉄道社員でも副業と両立できた理由
結論から言ってしまうと、会社からの脱却のために、行動しないと明るい未来はない、と感じたことが両立できた理由です。
少なからず性格もあると思いますが、人間は行動動機と、些細なきっかけさえあれば案外スタートは簡単なんじゃないかと思います。
実際のところ、ずっと我慢して13年間行動出来なかったぼくもリベ大に出会ったことによって、たった1年で脱サラ出来るまでに飛躍しました。
このnoteを読んでいるあなたは、今すべきことは何なのかを明確にして行動してみると、案外未来は明るいかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!