じゃっくです。
閲覧いただき、ありがとうございます!
今回は、高校生の時に体験した犠牲と成功体験のお話です。
以前、リベ大の学長がノーペイン、ノーゲイン、
犠牲なくして成功なし。と話していました。
成功を掴み取るには犠牲も必要。
適切なリスクも取らないと成功はしないと動画でお話されていました。
今思えば、自分は当時、高校生でした。
15〜18年間生きてきた中で、人生初のノーペイン、ノーゲインを高校生でやっていたのだと気づき記事にしました。
中学の頃
中学から高校に進学する際、最初は普通科に進学する物だと考えていました。
成績も真ん中くらいでした。
中学3年生に近づいてくると、親父にはよく大学に行かせるお金はないから、高校を卒業したら働いてくれ。と言われました。
元々勉強が嫌いだった自分は、大学に行くことは当時全然意識していなかったと思います。
高校を卒業したら働くものだと考えていました。
中学3年の時、普通科に行くか、商業や工業に行くか迷いました。
最初は、高専に行きたかったですが、学力的に無理でした笑
就職を意識していたので、その高校の卒業生の就職先が気になり、調べました。
工業や商業は普通科に比べて就職する人が多いので、2択に絞られました。
中でも就職先が上場企業が多い商業科を発見し、商業科へと進みました。
高校の時
就職先が上場企業で良いと言っても、高校内で上位にいなければ就職競争には勝てません。
自分は車が好きです。
高校を卒業したら車に乗る!と考えていて、良いところへ就職したら車に乗れると言う単純な考えを持っていました。
良いところへ就職するには勉強するしかありません。
高校1年生の1学期の初授業から、毎日自宅に帰ってから今日習ったことを復習しました。
スポーツが盛んな高校だったので、部活にも入りました。
授業を受けて部活をして帰宅後、その日の授業の復習する日々を繰り返しました。
1年生の頃は、ほぼ上位に居座ることが出来ました。
2年生の頃は、より就職先を確実なものにするために資格取得の勉強を並行しました。
商業科のいいところは、2年生の時に3年生で習う資格の勉強が出来るんですよね!
3年生で資格を取っていたら、履歴書に資格を書くことが出来ません。
なぜなら、資格の試験日はは6月や9月が多く、就職先の履歴書は9月には提出します。
これでは間に合いません。
2年生の時に先生に夏休みや休日部活で出てきた時に教えてもらいました。
おかげで就職に必要な資格を2年のうちに取ることが出来ました。
そして、3年生になり、履歴書を提出する時点では、資格の数では上位でした。
が、思わぬ誤算がありました・・・。
自分の高校は、スポーツ校でした。
就職先を決める際、強いスポーツ部の先生に権限があるのか、自分は校内で推薦をもらえるか微妙になりました。
自分の就職先は人には決められたくない。と思っていたので、成績では問題ありません。
スポーツ部に所属していたので、それも問題ありません。
でも、3年の担任が校内で3.4番くらいの強さの部活の顧問でした。
自分はスポーツでは、成績を残していません。
担任は自分のスポーツ部の生徒を自分の行きたい企業に受けさせたかったので、推薦しない方向になりました。
今まで遊ばずに勉強してきて、自分より遥かに成績の悪い人を推薦するなんてあり得ない。と思いました。
本当に悔しい思いをしていました。
学年主任もスポーツ部の肩を持っていました。
学年主任と担任は、元教え子の関係で仲がよく、運も悪かったです。
でも、他の先生数人は自分の味方になってくれました。
面談の時、
担任に自分の行きたい企業は一つしかありません。
今まで人に就職先を決められたくないから勉強してきました。
それ以外は受けるつもりはありません。
とはっきり言いました。
担任は、そこじゃなくてもいいやろ?他に受ける人がいるから他のとこ考えて。と言われました。
それは出来ないと伝えると、じゃあ、その企業以外やったら好きなところを受けさせたるわ。と言われました。
担任なんて生徒の人生なんて何も考えていないんだと思いました。
なので自分は腹が立って、
じゃあ、その企業以外で受けた企業面接で、本当はこんな企業受けたくなかった。こんなしょうもない企業、行きたくない!来年から求人は迷惑なので自分の高校には出さないでください!って言います。それと、高校で頑張ったことは意味がなかったので、しょうもない高校も辞めます。
と担任に伝えました。
担任は、出て行け!と言い、自分は追い出されました笑
その後、高校内での推薦は取れないと思い、すぐに行動に移しました。
当時夏休み前だったので、アルバイトを始めました。
もう就職する気もなかったですし、とりあえずお金は必要だと思い、アルバイトをしました。
当時、コンビニでバイトをしていましたが、楽しかったです笑
夏休みでも就職する人は週に数日登校しないといけません。
親には登校するように言われていたので、だらだらと登校していました。
履歴書も一応書きましたが、担任に見せたら、これダメ、あれダメと好き嫌いでしか判断していない内容で返ってきます。
そして、就職希望先を第1〜5希望まで記入する用紙を配布された時、ダメ元で自分が最初から決めていた1社だけを記入しました。
あとは高校の先生が会議で誰がどこを受けるのかを決めるだけです。
どうなるか分かりませんでした。
そして結果は・・・
希望が通りました。
担任は物凄く不服そうでしたが笑
他の先生方が頑張ってくれたのだと思います。
今でも本当に感謝しています。
就職の面接練習の際、いろんな先生が放課後付き合ってくれますが、他の先生は協力的でした。
担任と学年主任は、話になりません。
そして、無事に就職が内定しました。
一応担任から内定を伝えられましたが、あんまりいい表情じゃなかったですね笑
どうせあいつは辞めると担任が言っていることを周りから聞きました。
腹が立ちましたが、自分の力では何も出来ませんでした。
内定してから就職まで時間があります。
その際、色々考える時間が出来ました。
この先、就職したらあんな奴はいっぱいいる。
しかも組織ぐるみで攻撃してくる奴もいっぱいいる。
今回はなんとか運良く勝てましたが、勉強や仕事だけが出来る人間じゃ、いいように利用されるだけだと思いました。
もっといい意味で図太くならないと生き残れない。と思いました。
勉強だけじゃダメですね・・・。
いい意味で強くならないといけないと思いました。
この3年間、ほとんど勉強と部活で過ごしました。
3年間で同級生と遊びに行った回数も10回程度しかないと思います。
自分は将来の就職先や勉強を選択し、友達とか大事なものを疎かにした3年間でした。
就職してからは、車にのめり込み、車のSNSで知り合った人達と楽しい日々を過ごしました。
世の中攻撃的な人もいます。そんな人は放っておきます。
でも、なんでも話せる友人は必要不可欠だと思います。
高校3年間で全く重要にしてこなかったですが、友人は必要ですね!
付き合う人は選びますが・・・笑
でも、3年間勉強や就職のみに専念し、自分なりに犠牲を払ってきたので、今の自分があるのかな?と思いますし、後悔はありません。
あの時、嫌いな担任の意思に背いて本当に良かったと思います。
担任からしたら、自分がもし受けられなくても犠牲とは思っていないでしょうが・・・笑
ちなみに高校はバイトが禁止で、内定をもらってからも続けていました。
コンビニでバイトをしていたのですが、違う先生に見つかり、
担任からは「ルールを守らないといけない。」とか言われました。
担任の言うことは全然耳に入ってきませんでした。
反省文には、世の中理不尽なことばかりだと聞いています。
学校の中でも理不尽なことが最近ありました。
だから、ルールは破るためにある!反省はしていません!
ルールを守れない奴に言われたくない!
って書いたらさらに叱られました笑
あの時は、色んな意味で勢いがありましたね〜。
担任の言うことは聞きたくなかったので、卒業まで全く聞く耳を持たなかったです。
あの時、担任に背いて強気な態度で対応したのは、今でも後悔はしていません。
もし、希望の就職先を受けていなかったら、高校は辞めていたと思います。
でも、一か八か勝負して本当に良かったと思います。
ノーペインノーゲイン、犠牲なくして成功なし
いい言葉ですね!
生きていく上で成功を得るには犠牲を払う必要があると思いますが、自分はこれからも適切な犠牲を払ってリスク許容度を超えないように気をつけて成功体験を積み重ねていきたいと思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!